海に接しているため海水が入り混じり、奥に行くに従って淡水となる。浅い湖で、魚の種類も多い。厳冬期には、湖の水面を棒でたたき驚くフナを追いこんで獲る「フナのたたき網漁」が風物詩になっている。吉崎御坊という坊舎がかつてこの湖の近くにあった。親鸞上人の直系の弟子である蓮如上人の説法を聞くために、浄土真宗の信徒が近隣だけでなく奥州からもこの地を訪れ宿泊した。その宿坊をいう。この吉崎御坊に、嫁威谷(よめおどしだに)の伝説が伝わる。六百余年前の昔、三与次という男が老母と暮らしていた。その三与次がもらった嫁は優しく働き者の女だった。信心深い彼女は仕事の合間を見て、浄土真宗の高僧蓮如の法会に通う。だがその義母には信心が全くなく、「そんな寺詣りする暇があるならもっと働け。」ととげとげしい罵声を嫁に浴びせる。いつもは夫と二人で吉崎御坊に法会に出かけるのだが、ある晩のこと、夫が行けず嫁一人で行かなければならなかった。法会に出ての帰り道、提灯片手に真っ暗の山道を下り家路を急いでいると、急に藪から鬼がぬうっと現れ出た。「このお~怠け嫁め~。遊んでおらんで、夜も働かんかあ~」と地鳴りのような恐ろしい声色でその鬼は襲いかかってきた。腰を抜かしそうになりながらも嫁は懸命に逃げ帰る。家に着いてみると義母がいない。「お母様、あの鬼に食べられてしまったに違いないわ」と思い、やがて帰ってきた夫にいきさつを話し、二人は鬼が出た藪へ戻った。 そこには先ほどの鬼がしゃがみこんでいる。よくよく見てみるとわが母ではないか。「面が、鬼の面が取れぬ~。」ともがきうめいている。鬼の面が老婆の顔の肉に張り付いてしまったのだ。翌日3人はさっそく吉崎御坊に参った。阿弥陀如来の前で老母が泣いて過ちを悔いた時、ぽろりと面が落ちた。という「嫁脅し伝説」。 現在はその坊舎跡の石碑が立つばかりである。かつて室町の時代、この地域は百年の長きにわたって「加賀一向一揆」で荒れた。蓮如もその渦中にあった。抑圧と抵抗のはざまでおびただしい血が流れたなど、こののどかな風景からは想像すらできない。梅雨の季節にもなるとこの北潟湖湖畔を、早生から晩生まで合わせて300品種20万本、濃淡の紫の花菖蒲が咲き乱れる。
菖蒲は勝負と掛けて、かつて武士が戦に立つ前の入浴に身を清め力を得る縁起とされた
菖蒲は英語ではiris。ギリシャ神話の「虹の女神」の聖花がアイリス。花言葉は高貴と希望
大寒のぶり、立春の頃のさより。よもぎが新芽を出す頃になると、やりいか、赤いか、するめいか。春のいかの甘みは格別だ。そして、たけのこが終わる頃から、鯛の季節が本格化する。石鯛は脂が乗ってこくがある。黒鯛は独特のクセがたまらない。小鯛は口の中ですっととける。そして、真鯛。甘く、旨みもあり、歯ごたえもしっかりとしていて、口から消えた後も残る余韻は少しも嫌味がない。鯛は、やはり魚の王だ。福井市学園町にある「すし春」。カウンターに座る。福井だから、寿司ネタの新鮮さ、旨さは保証付きだ。友人たちと誰気兼ねなく宴を楽しみたいときは奥の座敷を使わせてもらう。すし屋だから、寿司・刺身が当然の注文なのだが、最初から寿司ではおなかが膨れてしまう。それに至る前に、あれやこれやと楽しみたいのだ。その肴がこの「すし春」のメニューにはあふれ踊っている!その楽しいメニューの中から、希少な美味を選び出すのは小躍りする楽しさだ。獲れる量が少ないのでほとんど地元、あるいは近県で消費されてしまう。そういう希少な美味は寿司屋の独壇場だろう。息子さんが後を継ぐということなのだが、この息子さん、いろいろな店で修業してきただけあって、サイドメニューのユニークさは彼の本領発揮なところなのだ。彼自ら自家製の豆腐は香りも味も濃厚で大豆の旨味が素晴らしい。やがて、大将の刺身。さすが包丁の入れ方がいいので、刺身の切り口が舌に滑らか。寿司職人の職人気質として繊細だとしみじみ思うのは彼らの魚に対する扱いである。手が熱いときなどは冷水で冷やして魚に触れる。傷みやすく繊細な味を持つ魚だからと同時に、それを食する客への彼らのもてなしの真摯さの表れなのだと私は理解している。 接客業に限らず、人と人とのコミュニケーションは基本的に、その相手を慮って接することができるかどうかだろう。そういう居心地のいい店をなじみの店に持てたら幸せだ。この「すし春」はそんな思いを満たしてくれる数少ない寿司屋である。
福井近海で獲れた魚の刺身盛り合わせ。血抜き、神経抜きが完璧になされている
富山白エビ。希少な上に高価なので、こういう食材は寿司屋の独壇場
~ 「あわら芸妓 」とあわら温泉旅館「べにや」
~「 養 浩 館」と 福井の 銘 醸 清酒「梵」