豊かで肥沃な土地を意味するものだ。蜜とは蜂蜜であることは言うまでもない。豊かな自然があってこそ、花が咲き、蜂が生息でき、はたして蜜は豊富に採れる。こんにち多くの食品が工場生産される中にあって、蜂蜜はミツバチという昆虫が一切人の手を介さずに作り出す完全な自然食品である。ミツバチ一匹がその一生の間に作る蜜の量はわずかティースプーン1杯ほどだ。地球温暖化などが原因でミツバチの生態系は狭められ、彼らが蜜を集める野の花そのものも随分と減ってきた。そのようにより厳しさを増す自然環境の中、福井県で唯一の専業養蜂家として奮闘しているのが「大沼養蜂園」である。福井県三国のサンセットビーチ前に「大沼養蜂園」直営のはちみつショップを構えている。その名も「はちみつ屋」!養蜂園もショップも大沼さんご夫妻二人で切り盛りしている。実際の養蜂業務はご主人が、ショップの経営は奥さんの照枝さんが担当だ。先代が50年間続けた養蜂業を息子さんのご主人が受け継いだ。7年前のことである。退職を機に決意した。先代の養蜂業の時代とは大きく異なり、今日では社会全体が農薬や残留物質にぴりぴりしている。残留農薬などの有無を調べる化学物質の検査は絶対に欠かせない。 照枝さんは以前は中学校の数学の教師だった。長年務め、50歳になった頃。教師を退職しご主人との養蜂業の二人三脚へと踏みだそうとする思いに躊躇はなかった。 「大好きな自然の営みと深く関われる仕事はそうそうあるものではないんです。」と、笑顔に目を細める。 大沼養蜂園の規模は、150の巣箱を所有し、1斗缶(18リットル)で200缶ほどのはちみつを1年間に収穫する。 一つの巣箱に約3~4万匹の蜂がいる。大沼さんは花の時季に合わせ、この巣箱を福井県内各所に移動させる。県外へは出ない。だから、大沼養蜂園のはちみつは純粋に「福井のはちみつ」なのである。大沼養蜂園の蜂が蜜を採る花は、春の花、からす山椒、アカシア、トチ、そばなどだ。蜂は自分より小さな花の蜜だけを集める習性があるので、どんな花にでも向かって行くわけではない。花の命は短い。年に一度の開花も、その花が咲いている間に雨が降ると、ミツバチは雨の中を飛ばない。天候という自然の巡りあわせの幸運な中を、蜂たちは蜜を求めてひたすら飛ぶ。ミツバチが、何だかとても健気な生き物に思えてきた。大沼さんは、花から花へと移動するときは、巣箱に残っている蜜を取り除いて(そうじ蜜)、新しい花の蜜のみが貯まるようにする。複数の花の蜜が混じると「百花蜜」となるからだ。これはこれでとても美味しいのだが。そのミツバチにも当然ながら敵がいる。最大の天敵はスズメバチだ。スズメバチの偵察蜂はミツバチを探して始終飛び回っている。スズメバチはミツバチを連れて行って分泌するものを食べたりスズメバチの幼虫に与えたりするのである。その偵察蜂を捕まえないで放置するとどうなるか。ミツバチの巣箱を確認すると巣に帰り、仲間にミツバチの巣箱の存在を知らせ、やがてスズメバチの大群を連れて戻ってくるのだ。群れで来られては一箱全部やられてしまう。だから大沼さんは毎日巣箱を見回り、偵察蜂を見つけては駆除する。器用な大沼さんは巣箱も全部手製だ。福井の野山を巣箱を携えて自由に巡るのかと思いきや、実際はそう簡単ではないと仰る。巣箱を何箱持ち、どこの地域にどれくらいの期間置くかを、毎年福井県の管轄部署に届け出る必要があるという。 花の無い冬は温暖な三重県でミツバチを越冬させる。市販の越冬用のえさを与える。サンセットビーチの蜂蜜店「はちみつ屋」は、そんなわけで1月は一ヶ月休みだ。2月から店を開ける。此処の蜂蜜ソフトクリームが人知れず口コミで広まり、その時季には大変な人気振りである。好きな密をかけて食べるこのソフトクリームは280円。金、土、日、月の4日間の開店だ。火、水、木は店を閉める。その間、ご主人を手伝う。 「近所のね、顔なじみのお客さんとのおしゃべりが楽しいのよ。」と、お仕事をとても楽しんでいらっしゃる。 蜜を試食させていただいた。アカシア蜜は、すっきりとあっさりとした味。トチ蜜はすっきりとした中にこくがある。からす山椒の蜜はふくらみのある味わいとこくがある。秋のそば蜜は、唯一黒褐色である。味わいも濃厚で個性的だ。 福井の豊かな自然にある木々から採れた「福井の蜂蜜」は安全安心で、なおかつ美味しい。 朝食のトーストに美味しく、おやつのホットケーキにもかけたい。 大沼養蜂園特製のはちみつは、三国の、そして福井の名産品である。
はちみつ店「はちみつ屋」店内とオーナーの大沼照枝さん。ハニカム状の展示棚もご主人の手作りだ。
店舗外観。
はちみつ入りのゆずジュースさっぱりとしてとても美味しい。
店舗名
大沼養蜂園直営 「はちみつ屋」
住所
福井県 坂井市三国町宿3丁目7-20 はちみつ屋
最寄り駅
えちぜん鉄道 三国港駅
道順
三国港駅より海岸沿いに徒歩6~8分三国サンセットビーチ沿い中央に位置します。
営業時間
10時~16時
休業日
4月~11月 水・木 曜日 但し状況により火曜も休業有12月~3月 火・水・木 曜日
設備・サービス
駐車スペース2台まで現在の状況で店内飲食はできません (奥行3m未満なので)
電話番号
0776-82-2098
Fax
0776-82-8383
その他
蜂蜜の発送承っています。注文内容 蜂蜜の種類・大きさ・数 その他 発注者の 〒 住所 ご氏名 TELなど必要なことをお書きの上FAX下さるとありがたいです。お問い合わせからのメールも承ります。
取扱店
坂井市「三里浜農産 道の駅」 「のぼる」いーざ内 「はちみつ屋」 **********あわら市「きららの丘」(牛山)TEL 0776-78-6020 「瑞香園」(ブルーベリーのお店) **********福井市「かがみや」各店舗 ハピリン内他 「ファームサルート」(新田塚)「丹生 膳野菜」(風巻町) TEL 0776-98-3577 「大津屋」ハピリン内 ****************永平寺 「れんげの里」(医科大前)鯖江市 北鯖江SA(大津屋)池田町「こってこって池田」 「冠荘」 ****************東京 アンテナショップ 「ふくい291」 坂井市アンテナショップ(戸越銀座) ******************
この海岸はリアス式海岸である。山の稜線がとっぽんと海に落ち込んでいる。海岸沿いにかろうじてしがみついているわずかな平坦地に、人家がこれまたかろうじてしがみついて建っているようなありさまだ。 耕作に適した土地がほとんどないから、この海岸沿いにある漁村は昔から半農半漁でつましい生活を余儀なくされた。それでも福井は温暖な土地である。しかも温暖湿潤気候の恩恵に浴し、米も野菜もそして魚もよくとれた。 現在の福井市南菅生町の海岸に鉾島という小さな島がある。輝石安山岩の柱状節理の岩肌は、福井の名勝東尋坊からこの鉾島まで続いているのだ。50メートルの高さにそびえたつ柱のような岩が、鉾に似ていることから、鉾島と名付けられたと伝えられている。 11月も中旬まで深まってくると日本海の波はもはや冬の暴風に囚われたようだ。真冬の日本海に荒れ狂う三角波の凄まじさは、鋼鉄の鎧を着た大型タンカーの腹さえも裂いてしまうほどだという。 この美しい岩肌もおよそ4カ月間その波にたたかれるままとなる。 それをこの小さな岩の島は六億年も耐えてきた。それでもしっかりと鋭い角をもって島は誇らしげに空に伸びている。 今は昔、この小さな漁村にある若い漁師が住んでいた。名前は不明だ。太平とでもしておこうか。 太平は村一番の働き者だった。病に伏せっている老母一人が家族だった太平は、朝早くから海に舟を出し、病身の滋養にと鯛を獲っては雑炊をこしらえ木のへらで母の口に運んでやる親孝行者であった。 ある夏も終わりの夕暮れのこと。 太平は、村の海岸がすぐ見える沖で差してあった網を上げていた。 すると碧色の海の底から何やら眩しく光る物が網とともに揺れて上がってくるではないか。 魚じゃねえなあ。何やろか。首をかしげながら上げてみると、何とそれは不動明王の像だった!険しい目がどこやら遠くを見つめている。 家に持ち帰った太平は、明日にでも網元の親爺さんに相談に行こうと、その晩はその不動明王像を枕元に置いて床に就いた。 ところがその夜、不動明王が太平の夢枕に立った。「太平よ。お前は私を鉾島の頂きに祀るのじゃ。大事にいたせよ。」と地割れのするような声で叫ぶと明王は消えた。がばっと起きた太平はまだ薄暗い朝ぼらけの路を駆け、村の大工の金松をたたき起していきさつを話し、二人して小さな祠を作った。そしてその不動明王を祭った。すると、村の漁師たちが漁に出ている間は嵐や荒波がぴたりと止んだ。そればかりか魚もたいそう獲れるようになったという。 以来数百年の時を超えて今日でも鉾島の明王様は村人たちの篤い信仰を集めているということである。 この鉾島の頂上からはすぐ近くの亀島が北に、そして南には午後の日差しに映えて銀色にうねる海原が舞い上がる潮風に霞んでゆれている。
頂上の祠まで歩きやすい道がついている。
美しい結晶の岩肌である。
こんなに切り立った崖にも草木は茂る。その生命力にも、そしてこの岩の長寿にも私の命の長さは勝負にすらならない。
頂上からの眺め。
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